ディストロとアンダーグラウンドの話 (2019/04/21)
「今の時代に、メジャー予備軍ではなく、本来の意味で「インディ」であるとはどういうことか? そして、それは2010年代においてどのような形で成立し得るのか? 」
〈KiliKiliVilla〉に学ぶ、新時代のインディ・レーベル運営論 ~安孫子真哉&与田太郎インタビュー
KiliKiliVillaを運営している安孫子さんと与田さんに田中宗一郎(タナソー)さんがインタビューするというもの。面白かったので、この内容とからめて少し書いてみました。
「アンダーグラウンドではなくインディペンデント」というAfter Hoursの記事をみて、そういうもんなのかねと思いつつ、最近のピエール瀧逮捕からの石野卓球やDOMMUNEの動き方を見ていても、「言いたいこと言える」ってことがインディペンデントならではと感じることが多い。株主、広告主にお金出してもらってる関係じゃなく、ファンベースで成り立っている関係だから、言いたいこと言っても自分の生業の売り上げにはささいな影響しかない状態。
ちょっと前に本気で「インディーってなんだろ」って思って、それは「ジャンルとしての"インディーロック"って何?」と思ったからなんだけど、wikipediaの英語版読んだら、「インディーレーベルは、メジャーアーティストのリリースをライセンス契約して規模を大きくしていく」みたいな説明がされてて、あれ?それってインディペンデントなのかなって疑問に思って、↑の話と絡めると、「アンダーグラウンド」ってメジャー予備軍じゃないですよね。
お金を稼がないって話でもなくて、メジャー連中より金の流れをしっかり把握していて、コントロールし、搾取されずにお金を回して次の作品の制作につなげていくという綺麗事、を実現可能な形で実践していく。本気でそれをやっていくとなると「アンダーグラウンド」にいる僕らはその思考を研ぎ澄ますことになる。「アンダーグラウンド」<「インディペンデント」ってわけでは決してない、と言いたいけれど同じ領域に異なる思想の人たちがひしめいているのが地下世界なのではっきりとは言い切れない。しかし、ディストロの文化は結構アンダーグラウンド寄りだなと思う。こういった記事でディストロ文化について知る人が増えるのは面白いし、素晴らしいこと。こういう考えもあるんだって知ることで、それなら自分はこうやってみよう、というオルタナティブな流れにつながる。
"ディストロは絶えず続いてきた"って書かれている箇所があるけど、自分が見ていたこのシーンのディストロの形は、名前はディストロでもその中身は結構違っている。これは時代のテクノロジーと共に進化しているのを実感している。
初期ディストロはライブ会場で海外から仕入れてきた音源を売るスタイル、時代的にはインターネットがまだ広く浸透していなくて、手紙や電話、FAXやライブ会場で音源をトレードしたりして、自分のバンド以外の音源を物販で売ったり、海外レーベルからカタログから取り寄せた音源を売ったりする。その前の時代のことは知らないけど、90年代〜00年代初頭まではこのスタイルだと思う。たぶん多くの人が駄盤をつかまされたであろう。
インターネットが浸透してくると、海外とのやりとりは簡略化され、国内取引もメール等で通販が可能になってくる。そうなってくると、ディストロ始めるまでのハードルが一気に下がってきて、ディストロの数が増えたのはテクノロジーの進化、浸透は大きい。00年代中期に一気にディストロが増えていった印象がある。で、00年代後半くらいで飽和状態になってくる。というのは、どのディストロも差別化できてないから、だいたい同じようなタイトルが商品リストに並ぶようになってくる。いま思うと厨二病丸出しのような熱いステートメントも溢れてたと思うけど(ブーメラン)、それがシーンの熱気でもあった。
通販といっても今みたいにサイト上で決済まで完結するんじゃなくて、blogに書いてある在庫リストを見て、「〜〜の商品ありますか?」みたいにメールをして、何度かやりとりしてお金振り込むみたいなスタイルが多かった。zen-cartとか、簡単なECサイトのサービスとかが始まって、みんな少しずつECサイトへ移行していった。
そして時は2010年代には入りSNS時代、ますますインターネットが浸透してくると、音源がネットで聴けちゃう時代になる。ここでディストロ氷河期みたいな感じになる。多くのディストロが一気に消滅していく。当時聞いたリアルな声としては「ディストロやる意味がなくなった」。Myspace,bandcamp,youtubeで音源は聴けちゃうから、わざわざディストロして、レビュー書いてっていうところに従来のディストロの価値観を持ってた人は適応できなかったし、DIYパンクを聞いてきた人たちも結局音源をネットで聴くってライフスタイルを選択した。今ほど「現物を買ってバンドをサポートする」って意識もなかった、と思う。そんな中で僕はディストロを始めたわけです。
この時代の前後で、ディストロを"自分の情熱によってのみ動かしていた"(お金を稼ぐことを良しとしなかった)人たちは情熱を無くした瞬間に力尽きて、結局そのときの素晴らしい活動を次の世代に残せなかった。多くの名盤も廃盤になって、届けるべき人たちに届かなかったのでは?本当は90年代のDIYも、00年代にネットが普及した中で絶滅したものもあったんじゃないかな。それを見てるから、音源で適正なお金を稼いで、それを音楽作ってる人たちに還元する仕組みが重要だと思ってる。これも綺麗事なのかもしれないが。DIYは素晴らしいけど、僕はその90年代的価値観を100%信用しているわけではない。誰かが貧乏くじを引いたうえに成り立ってる関係はすくなくともフェアじゃない。全員がWin-Winする関係を目指すべきなんじゃないかと。今では、若い世代の貧困問題とか、非正規雇用の問題とか、社会問題にも絡んだテーマになってきている。
2010年代にはディストロの数がぐっと減ってから、状況は変わりはじめる。それはストリーミングサービスの普及とアナログのムーブメント、音源のフィジカルの価値を再び見出した流れが状況をまた動かした。レコードはカラー盤が増えたしカセットのリリースも増えて行く。そして今までとは違う価値観に基づいた活動が生まれ、新しいコミュニティが作られている。この記事で触れられているレーベルは、次の時代に向けてのオルタナティブな動きだ。
オルタナティブが重要な理由は、NoFXが歌ったように、Dinosaurs will dieだから。次の時代を担う価値観は、今の時代とはかならずギャップがあるはずで、今の価値観、物差しで測りきれないアートに向き合うことには意味がある。違和感に対して敏感かどうか。だから音楽を作る人に意識して欲しいのは、みんながみんな絶賛するようなものって危ないかもしれないよということ。流行りの音にすれば今は聴いてもらえるかもしれないけど、それは次の時代には絶対残らないし、今を闘っている人には響かない。反響の大きさよりも、一人一人が感じている熱さの部分は無視しちゃいけない。楽器の練習だけじゃなくて、クリエイティブの核の部分は失っちゃいけない。
ディストロっていう活動は一周して次の時代の価値観を担う何かになってきている。いまのディストロはもう90年代的DIYの価値観じゃないと思う。ストリーミングでアルバムを全曲聴かせるのは旧来の日本国内の売り方とは真逆だけれど、CD販売で収益作るんじゃないっていう前提があるのが若いバンドだし、これからの時代に生き残ると思うんですよね。そのやり方のほうが世界中に聴いてもらえるし、大げさな言い方すれば世界平和にもつながる。
世界中に音楽を流通していくアーティストは、世界を相手に商売をするわけだから差別発言なんてするわけないんですよね。日本のバンドでネトウヨ発言しているのは、日本にしかリスナーがいないバンドだから。ビジネスをするっていうのは搾取構造じゃなくて、Win-Winの関係を築くこと。世界中にコネクションを持つことはメジャーだからって出来ることじゃない。アンダーグラウンドでもインディペンデントな活動でそれが実現可能であること。世の中にある「わけわかんない感覚」に対して、自分の物差しで計るんじゃなくて、自分の心の容れ物をカスタマイズしていく自由な感覚がオルタナティブだとおもいます。原体験的な部分でディストロに求めてたのは、新しい音楽との出会いで、それによって何かが変わっていくきっかけになることですね。
だいぶ偏った個人的歴史観に基づいた内容ですけど、そんな風に思っていますね今は。
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