TJLA通信 #2 : Interview with Khmer #1 Mario <歌詞編> by llasushi (2018/09/04)
最初の3回は2016年に行われたJapan tourで販売された冊子にも収録されたMario(Vo)へのインタビューで、歌詞編、アートワーク編、生活思想編に分けて配信します。インタビューは歌詞翻訳を行ったllasushi氏によるもの。
4回はサウンドや作曲を担うギタリストIvanへのインタビュー、こちらは3LA水谷によるインタビュー。
5回目は、今回の来日を控えての2018年インタビューとなります。
Interview with Mario <歌詞編> by llasushi
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※インタビューにおけるカッコ内の小文字はllasushiによる補足または註釈となります。
Q.これまでに発表された歌詞はどれも陰鬱・憤怒・悲嘆といったイメージに結びつく言葉や内容に多くを占められていますが決してそこに留まらないような意志を同時に感じます。そのためか初めて対訳したときから「親しさ」という言葉がずっと浮かんでいるのですが、この見解についてどう思いますか?
Mario:「親しさ」はまさに俺が作品に込めようといつも努めていることだよ。作詞にあたってはジャンルを問わず大半の歌から聴こえてくる使い古された言い回しに陥らないよう詩的な語調やイメージの選択に深く注意している。けど世界中の誰にでも伝わって欲しいから無駄に飾り立ててはいないつもりだ。
だからリスナーには俺と同じくらいに思い切り感情を込めて歌って欲しいね。俺が扱っているのはどんなときも人なら当然感じるようなことであって、俺がやっていることは書き手として精一杯のところでそれらが本来持っているはずの生々しさと美しさを同時に伝えようという試みなのさ。だからこそ積極的、創造的、そして芸術的なやり方で感情の最も激しい部分を引きずり出してやる必要があるんだ。
Q.あなたの作品は流れの構成がかなりしっかりしています。中にはスペイン古来の言い伝えや物語に由来があるのかなと思えるものもあるのですが、幼少期に知って以来記憶に残っているお話などありましたら教えてください。
Mario: そういった話があるとしたら「これは書くに充分値する」と思えるくらい自分の精神を揺さぶった話ということになるから、“読んだ”“聴いた”というよりは“それを生きた”話ということになるだろうね。生活していると色んなことが日々正面から俺の中に飛び込んでくる。それらをただの瞬間で終わらせないように自分自身を重ね合わせて、出来るだけ理解して、やっととらえたものを紙の上に自分の手持ちの言葉でとどめるようにしているんだ。そうだな・・・こういえばわかりやすいかな。つまりどこにでもあるようなことを“怒り”“多幸”“悲しみ”“失望”といった“様々な目”を通して言葉にしているということだよ。
Q. Khmerにおいて一貫しておきたいテーマや書き方はあるのでしょうか?
Mario: Khmerの楽曲においては幾つかのテーマを繰り返し用いてる。俺たちが生きている社会に溢れ返ってる疎外感・惨たらしさ・俗悪さ・不要な競争心。それらからどうしても覚えてしまう傷つくような感覚。「こいつは真実だ」なんて思えるようなことにはなかなかお目にかかれないしこのありさまに疑問を投げかけようなんて人はほとんどいない。ここでも大衆ってのは本当になびき易いんだ。
ありのままであることよりもどう見せかけるかばかりを評価する。嘘、空虚、敵意、誇張、作為、くだらない慣例、、、撒きついた鎖なようなものだ。それらに生けるものとして抗いそこから解き放たれることが出来るのか。ほとんど炎に近いような感情で以て対するしかないと思うし、共に戦える者も僅かばかりはいるけれどやはりどうしたって孤独にならざるを得ないよね。
Q. 歌詞の面で影響を受けた楽曲やバンドなどを挙げてください。
Mario: 幾つか思い当たるけど最も深い爪痕として挙げるなら悲観や厭世の面でNine Inch Nailsの“The Downword Spiral”、憂鬱さの面でThe Cureの“Disintegration”。もちろん今日に至るまで本当に沢山の歌詞の恩恵を受けてきたけれど特に好きなのはChuck Ragan、Converge、Rome(ルクセンブルクのネオフォークバンド)、Current 93、Agallochあたりになるかな。
Q. 歌詞と同様に影響を受けた書籍についても挙げてください。作品によっては日本語訳が入手できないものもあると思うので簡単な説明も添えてくれたら嬉しいです。
Mario: これも挙げ始めたらキリがなくなりそうだな。なんとか選ぶとしたら、、、まずはヘンリー・ミラー(Henry Miller)の“北回帰線”と“南回帰線”。彼はお決まりの形式に唾を吐き捨ててしまうようなタイプの作家で、大抵の人にとって障壁となりそうなことも彼にとっては道端の石ころ同然。自分自身でいさせてくれないものは遠慮なく拒否を下す、そういった活力が文章にも現れているのがとても良い。
次に挙げるのはルイ=フェルディナン・セリーヌ(Luis-Feridinad Celine)の“夜の果てへの旅”。この作品で主人公は社会の欺瞞をことごとく撥ね付けていて、人の持つ生々しさや哀れさといった真実の隠された側面を徹底的に荒々しく、けれども美しい文体で俺たちに現してくれているんだ(他の作品における反ユダヤめいた文章が原因で欧米では数作が発禁処分となっている。邦訳ではあるが全作が読めるのは日本だけ)。
それと…そうだな、10代の頃に読んだジョージ・オーウェル(George Owell)の“1984”とオルダス・ハクスリー(Aldous Huxley)の“すばらしい新世界”は世の中というものがどうやって人から個性や可能性を奪い取ってつまらない存在へと貶めてゆくのか、支配の仕組みを学ぶのにすごく役立った。あとどうしても挙げたいのがあって“Mortal y Rosa”っていう本なんだ。
スペインのフランシスコ・ウンブラル(Francisco Umbral)という作家によるものなんだけど、日記の形態を用いて幼くして亡くなった彼の息子についての省察が綴られている。読んでいると1ページごとに胸が張り裂けそうになるよ。俺にとっては座右の書ともいえる一冊。おそらく海外向けに翻訳されていないと思うんだけど実に残念なことだよ(調べてみたところ邦訳の存在をにおわせる情報があるにはあったのですが余りにも確信に不足しています。日本では“用水路の妖精たち”という邦題の自伝的小説が入手可能です)。
それらとは別に詩もたくさん挙げたいな。スペイン語圏の詩人では…ミゲル・エルナンデス(Miguel Hernández)、パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)、オクタビオ・パス(Octavio Paz)、ホセ・イエーロ(José Hierro)…他国語圏だとボードレール(Baudelaire)やアルチュール・ランボー(Arthuru Rimbaud)あたりを。それにエピクロス派(快楽主義)・キニコス学派(冷笑/皮肉主義)・ストア学派(禁欲主義)といった古典哲学も難しいけれど自分にわかる範囲で理解しようと読むよ。(回答に挙げられた作品及び作家による他の作品はほぼ全て邦訳で入手可能なので是非借りるなり買うなりして一度目を通すことをオススメします)
Q. 自らのバンドをKhmerと名付けたのはなぜ?
Mario: 人類の惨い側面を想わせるから。ポル・ポトによる全体主義やクメール・ルージュの時代はあってはならない下らなさと恐ろしさの最もな例だよね。だからバンド名をKhmerにしたのさ。
(続く)
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イベント情報:
3LA特設サイト : http://longlegslongarms.jp/event/tjla/2018/tjla_2018.html
チケット予約:
特製チケット:http://longlegslongarms.jp/music/products/detail.php?product_id=1207
e+ : https://eplus.jp/ath/word/122334
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